疾患の変異を読み解き、実験を設計する

脂質結合能を持つタンパク質には、神経疾患、免疫疾患、内分泌疾患、代謝疾患、網膜変性、難聴、がんなどに関わるものが数多く存在します。しかし、患者で見つかった遺伝子変異が、脂質との結合、脂質依存的な構造変化、膜局在、シグナル伝達をどのように変えるのかは、多くの場合まだ十分に調べられていません。

私たちは、こうした疾患関連変異を、「脂質結合異常」という未検証の視点から読み解くことを目指しています。すなわち、疾患変異がタンパク質の立体構造や脂質結合ドメイン、脂質との接触残基をどのように変化させるのかをAIで予測し、実験で検証可能な仮説へと落とし込みます。

本手法では、野生型タンパク質と変異型タンパク質について、どの脂質がどの領域に結合しやすいか、どのアミノ酸が脂質認識に関わるか、変異によって結合ドメインや接触残基がどう変化するかを、構造のレベルで検討します。これにより、病態メカニズムについて実験で検証可能な仮説を立てることができます。疾患変異による異常が脂質結合や脂質シグナルの失調に基づくと分かれば、脂質代謝への介入を通じた新しい治療戦略にもつながる可能性があります。

構造予測AIの登場と、その限界

AlphaFold3などの構造予測AIにより、タンパク質だけでなく、核酸、低分子、脂質を含む複合体構造の候補を予測できるようになりました。脂質–タンパク質相互作用についても、脂質がどのポケットに配置されるか、どのアミノ酸と近接するかを検討できる可能性があります。

一方で、構造予測AIの出力は、実験的な証明そのものではありません。予測には毎回揺らぎがあり、また実際には結合しない組み合わせでも、複合体らしい構造が出力される場合があります。したがって、1回の予測結果をそのまま正解として扱うことはできません

実験科学の作法を計算に持ち込む

そこで当研究室では、実験生化学で当たり前に用いられる反復・統計・対照という考え方を、構造予測の解析に取り入れています。同じタンパク質–脂質の組み合わせについて数千回の反復予測を行い、得られた構造候補をアンサンブルとして扱います。

各構造について、脂質とアミノ酸残基の距離、接触頻度、結合ドメインの再現性、対照脂質との差を解析します。これにより、偶然に得られた配置ではなく、繰り返し現れる脂質結合様式や、特定の脂質に特徴的な相互作用候補を抽出します。

Key Idea

深層学習が提示する多数の構造候補を、実験科学の考え方で評価し、脂質結合に関わるアミノ酸、結合ドメイン、変異体設計の候補を絞り込む。

生成AIとスーパーコンピュータの活用

多数の予測構造から、原子間距離、接触頻度、結合ドメインの位置、変異による構造変化などを抽出するには、目的に応じた解析プログラムが必要です。当研究室では、こうしたPythonスクリプトの作成・修正や、解析手順の整理に生成AIを活用しています。解析したい内容を言葉で明確にし、コードの下書き、エラー修正、処理手順の改善をAIに支援させることで、プログラミングを専門としないウェット研究者や学生でも、自分の研究目的に沿った解析を組み立てやすくなります。

さらに、生成AIを単なるコード作成補助にとどめず、多数の予測結果を整理し、どの脂質、どのアミノ酸残基、どの変異体、どの実験系を優先して検証すべきかを考えるための支援技術として活用します。大規模な構造予測や分子動力学シミュレーションは、学内のスーパーコンピュータTSUBAME4.0上で実行し、得られた数値データはPython、R、構造表示ソフトを用いて集計・可視化します。

AIを活用した脂質–タンパク質相互作用解析のワークフロー

AIを活用した脂質–タンパク質相互作用解析のワークフロー 1 構造を予測する AlphaFold3などで タンパク質–脂質複合体を 数千回予測 → 構造アンサンブルを取得 野生型・変異型・対照脂質を比較 2 数値化する 原子間距離・接触頻度・ 結合ドメインを抽出 → 生成AIも活用して解析 大規模計算はTSUBAME4.0で実行 Python・可視化ツールで整理 3 統計で評価する 反復予測を統計的に解析し 再現性と対照との差を評価 → 脂質結合候補を絞り込む 接触頻度・配置・再現性を比較 4 実験で検証する 変異体を作製し、 質量分析・結合アッセイ・ 細胞解析で検証 → 機能と病態仮説を検証 計算結果を生命現象へ接続 構造予測AIを『仮説生成・実験設計ツール』へ 生命現象と疾患病態への問い → AIで実験の狙いを定める → 実験で確かめる
脂質–タンパク質相互作用解析の概念図。反復予測・生成AI・統計解析・実験検証を連結し、AIを仮説生成と実験設計に活用する。
1

構造を予測する

AlphaFold3などの構造予測AIを用いて、同じタンパク質–脂質複合体を数千回予測します。野生型と変異型、候補脂質と対照脂質を比較し、構造アンサンブルを取得します。

2

数値化する

各予測構造から、脂質とアミノ酸残基の距離、接触の有無、結合ドメインの位置、脂質の配置を抽出します。必要な解析コードは、生成AIも活用しながら作成します。

3

統計で評価する

反復予測で得られた構造群を統計的に解析し、接触頻度、結合ドメインの再現性、対照脂質との差を評価します。これにより、脂質結合に関わる可能性の高いアミノ酸を優先順位づけします。

4

実験で検証する

予測されたアミノ酸を置換した変異体を作製し、質量分析、結合アッセイ、細胞内局在解析、転写活性測定などで検証します。AIによる予測を、実際の生命現象の理解へとつなげます。

AlphaFold3を「推論ツール」から「実験設計ツール」へ

1回の構造予測結果をそのまま正解とみなすのではなく、反復予測、統計解析、対照比較を組み合わせることで、構造予測AIを実験設計に活用します。重要なのは、AIだけで結論を出すことではありません。AIを使って、実験で確かめるべき候補を絞り込むことです。

この考え方により、脂質結合に関わるアミノ酸候補、疾患変異の影響、変異体設計の方針、対照脂質の選定を、より合理的に進めることができます。構造予測AIは、実験を置き換えるものではなく、実験の設計精度を格段に向上させる道具です。

めざすもの

当研究室は、AIそのものを開発する研究室ではありません。脂質生物学、ホスホイノシタイド解析、質量分析、細胞実験、疾患モデル研究を基盤とするウェット研究室です。近年、AIは専門的なデータサイエンティストだけでなく、生命科学の実験研究者にとっても活用しやすい技術になりつつあります。一方で、AIが提示した候補を実際の細胞・組織・疾患モデルで検証するには、確かな実験技術と生物学的洞察が不可欠です。

当研究室の出発点は、あくまで生命現象と疾患病態への問いです。脂質がどのようにタンパク質機能を制御し、その異常がどのように疾患につながるのかを、実験によって明らかにすることを目指しています。そのためには、どの脂質を調べるか、どのアミノ酸を変異させるか、どの実験系で検証するかを的確に設計する必要があります。

AIは、この実験設計を支える有力な道具です。構造予測AI、統計解析、生成AIを活用することで、脂質結合に関わるアミノ酸候補を絞り込み、対照脂質や変異体設計の方針を立て、検証可能な仮説へと磨き込みます。

生命現象と疾患病態への問いは研究者が立て、AIで実験の狙いを定め、実験で確かめる。これが、当研究室が目指すAI時代の脂質生物学です。

本ページは第5回 Lipid フォーラム(2026年4月、山本 利義)での発表内容に基づく一般向け解説です。本研究は東京科学大学 難治疾患研究所 計算創薬科学分野(石谷 隆一郎 教授・森脇 由隆 准教授)との共同で進めています。具体的な解析事例の詳細は、関連論文の公開後に追記予定です。
← 学ぶ・読むに戻る